以前にとある方々に「承認欲求を捨てろ」とよくわからないくらいしつこく言われ
僕的には『捨てる必要はないと思うんだけどな』と思っていたんです
なので、この承認欲求に関して、僕が考えたことを書いていこうと思います
ちなみに僕はこのブログを見ていただいている方がいらっしゃったら承認欲求レベルがMAXだとご存知だと思います!笑
チラチラ覗かせるとかではなく、承認欲求が王座に座ってるレベルです笑
承認欲求
他人から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい
尊敬・自尊の欲求
出典:ウィキペディア
プライドとか見栄もこれに当てはまりますよね
「自分の評価をするのは他人」という考えがこれに繋がっていると思います
そしてこれを持っているのは「悪」だと言う人がいます
それがなぜかようやく、わかってきました
きっかけは兄
最近僕の兄ちゃんが余命宣告を受けました
お医者さんは大袈裟に言っていると心では思ってます
ただ、吐血の量が凄まじく手術をした結果から「今の生活を続けるのであれば」と自らの経験で話していると思うので、寿命が両親より短いとは思い始めました
とんでもねー親不孝者です
兄ちゃんは弟の僕から見て
- 超絶頑固
- 美学を山ほど持っている
- 自分に自信がないので他人の褒められても素直に認められない
- 自分の弱い部分を見せられない
こんな感じで、承認欲求界でもトップレベルと言っても過言ではないです
例えばですが
現在兄が店長をしているお店は兄が戻れるようにと必死に頑張ってくれているそうです
恐らく「なんともねーよ、俺にとっちゃあんくらい屁でもねー」とかボロボロの体で言うことに美学を持っていると思っています
それをカッコいいと無意識で思ってしまっています
予想ではありますが、身近にいる人間全員がそう思っています
自分では気づいていないみたいですが、周りの人間は兄のプライドが山のように高く、自分の弱さを決して見せたりはしない、孤高な存在だと思っていることを知っています
ボロボロになったり、苦しんでいないと不安に押し潰されそうなんです
僕が知っている兄ならそうです、真面目で臆病なプライド激高のバカヤローなんですよ
承認欲求を持っていると自覚していない
兄は自分のプライドの高さを自覚していません
彼女のために土下座が出来るから俺にはプライドがないと思っているくらい考えも浅いんです
そうではなく、弱い自分を見せることも出来ないのに、プライド語るんじゃねーよ!!って話なんですよ
僕には「お前はプライドが高いな」とか言うんですよ
「うん、俺高いよ」と返しますが心の中では「おめーがな!」って思ってました
承認欲求は捨てるべき?
なんかの本で書いてあったと聞きましたが、ここでは僕の意見を言います
僕の答えは「捨てなくてもいいけど持っている自覚をするべき」です
人に認められて嬉しいという気持ちがモチベーションになるならそれはいいと思います
ただ、人に認められる事が目的になってはいけません
あくまで目的は別にあって、その過程で褒められて嬉しいで留めておくのが正しいと僕は思いました
例えばテストですね、学年1位になったら嬉しいに決まっています、周りからもチヤホヤされたりするかもしれませんね
ただ1位になった人はあくまでイイ大学に入るために勉強しているとか、何か目標に向かって勉強をしている過程のテストで1位をとっただけで、テストで学年1位になるのが目的ではないと思います
といった感じで、目的は他人の評価が都合になってはいけないということです、目的は全て自分の都合で動いていないといけません
捨てられるなら、それはそれでOKですが、別に捨てなくてもコントロール出来るなら褒められてモチベーションが上がる分お得です
世の中には「承認欲求」をくすぐるような商売をしているものも山のようにあるので
持っていると自覚している方がコントロールしやすくていいと思いました!
最後に
なんでしょう、あれだけムカついていた兄貴なのに
いざこういう状況になるとめちゃくちゃ考えます・・・
あの時こう言っていれば・・・なんてずっと考えてしまいます
「たられば」の話なんてどうでもいいと思っていたのに、毎日考えます
後悔しないように時間を大切にしたいですね
とか言いながら僕より長生きとかしたら笑えますね!笑
