勉強ってなんのためにするんでしょうか??子供時代の永遠のテーマですよね
そして返ってくる答えは、自分のため、未来のため、大人になった時のため、将来を豊にするため、イイ大学に入ってイイ会社に入るため、大体こんな感じですかね
理由は様々だと思いますが
勉強をしなかった人
では逆にしなかったらどうなるんですかね
僕は実際してきませんでした、なぜなら、なんで勉強するかわからなかったからです
それなら自分の好きなことをしている方がずっと有意義だったし
両親に勉強しなさい!と言われたこともなかったからです
強制的に勉強をさせられた
だけど、僕には謎の人間関係があり
小学4年生の時すごいガリ勉の友達がいて、ある日遊びに行った時に帰ろうとした時に友達の両親に呼び止められ
公文を習うように勧められました
ただ、僕はやりたくなかったので「嫌だ」とだけ伝えたのに
すごいことを次々と言われたんです
勉強しない人間はゴミと言われた
勉強をしなかったらダメな人間になる
将来のことを考えるなら勉強するしかない
勉強出来ない人間はクズだゴミだ
と3時間近く公文をやるように言われました
それでも僕は自分の意思で「ノー」と言っているにも関わらず
ノーと言えば言うほど続くんです
結果的に言うと僕は早く帰りたかったのと、泣きながら「やる」としか言えなかったんです
確かに勉強は出来るようになりました小学5年生の段階で中学2年の数学レベル
6年生の時には高校の数学を習っていたので確かに中学はとても楽でした
ただ、僕には夢も目標もなかったため、勉強をする意味は尚更わからなかったんです
そして公文は辞めることになりました
抽象的ではなく具体的に
僕自身が抽象的な表現が大嫌いで、教育する人間が楽したい時にそういう表現になっていると思っています
僕は子供の時から、なんで??なんで??と聞きすぎるくらい聞いていたそうです
僕は哲学的な質問が多く、まともに返答をしようとしてくれる教師がいなくて、僕は「屁理屈扱い」されいつも怒られるばかりでした、それで教師の存在を否定し過ぎて、家に謝罪の電話がきたことがあるそうです
例えば僕が理解出来なかったのは、算数の図形問題です
普通の計算問題は日常生活で、買い物の時に使うので、なるほどと思っていたんですが
図形はなんのためにするか全く理解も出来ないし、「なんで図形を学ばないといけないの?」「これを考えた人はどういう考えだったの?」教師に聞いても納得する答えがもらえず、図形問題はやる意味がわからず一切点数がとれませんでした
「なんでやるのかわからない」という問題を解決しないと次の問題にはいけないんです
大人になり、林修先生の授業をテレビなどで拝見すると、なるほどー!って思うんですよね
こんな風に考えることが最初から出来ていたらな、と思ってしまいますね
僕が出した結論
勉強は自分の考え方を養うためにした方がいい
大学に進むのも、勉強というより人生での選択肢を増やすため
という結論に至りました
林修先生の言う「解決力」「創造力」を養うために学ぶんだと思います
自分でたどり着かないといけなかった答えなんだなと思いました
最後に
だからと言って僕がもし親になった時子供に「勉強しろ!なぜなら・・・うんぬんかんぬん」と言うかと言ったら言いません笑
聞かれたら答えるかも知れませんが
それでやるかやらないかは自由に自分で選択することなので好きにしたらいいですよね
就きたい職業があるから勉強するは理想ですし
高得点をとりたいから勉強する 、単に好きだからやるも立派な理由です
なんとなくみんながやってるからやるというのはダメではないけど少し寂しい気がしますね
